石井康史との別れ

今日12月25日、午前11時より幡ヶ谷の代々幡斎場にて、大学時代からの友人、石井康史の葬儀。

石井君は東京大学教養学部教養学科中南米科の初代卒業生(僕は中南米科創設の一年前だったので、同フランス科出身)。慶応大学の先生で、ボルヘスなど、1920年代30年代のアルゼンチン文化が専門だった。と同時に、僕が生身で知ったいちばん優れたギター弾きで、ボサ・ノヴァのバンドをやっていた。

400人から500人が参列したと聞いた。まさにラテンアメリカ文学の作品の中のように、献花する人の行列が何日間も続いたみたいにいつまでも続いた。

弔辞

旦 敬介

石井君。石井君と初めて会ったのはおそらく、1980年の秋のことだ。おそらく、と言うのは、石井君のように記憶のよくない僕は、初めてあったときの情景を思い出せないからだ。あれから31年、長いけれどもあっというまだった。学生時代から石井君は人生を豊かにするものを広く深く知っていて、どれほど教えてもらったかわからない。マイルズ・デイヴィスにはじまり、ファニア・オールスターズ、ウィリー・コロン、エクトル・ラボー、マリア・クレウーザ、カルトーラ‥‥今でも僕が好きなものばかりだ。教える人、康史。石井君はこうした文化的な地図をすべて頭の中に記憶していて、いつでもすぐに引っぱり出して教えてくれた。記憶の人、康史。Yasushi, el memorioso.

やがてお互いの人生が忙しくなると、疎遠になることもあった。けれども僕ら友人たちは、結局みんな石井君をあてにしてふたたび集まった。複雑な思いがあっても、石井君はいつもまったく裏表なく誠実に、真摯に僕らを受け入れてくれたからだ。恒なる人、康史。Yasushi, el constante.

別の国に暮らしていたころの石井君がどんなことを考えて生きていたのか、僕には小さな断片をパズルのように組み合わせて想像することしかできない。というのも、石井君はそのころのことをあまり文章に書き残さなかったからだ。けれどもそれは、石井君がことばに対して並外れてきまじめで繊細だったからだとやっと最近になってわかった。見たこと聞いたこと考えたこと体験したこと、それを書き文字にしたときに、物事があまりにも大ざっぱに秩序づけられて整頓されてしまい、本当に大事なことがたくさん抜け落ちてしまうことに石井君は自覚的で、それに耐えられなかったのだ。自分の体験の微妙な手ざわりまでを含めたそのアナログ的な全体を石井君は大事にした。だから、文章に書くのではなく、対話によって立体的に話し伝えるのを方法として好んだ。そして、まったく気前よく話し与えた。話す人、康史。Yasushi, el hablador.

同じように石井君は、一回限りで消えていくライブの演奏を愛した。最近の10年間ほど、石井君がいちばん力を注いだのは、バンドの演奏ではなかっただろうか。石井君が中学生の頃、自分はギター弾いて生きていくのだ、と宣言していたことを最近になって知った。音楽を奏でる人、康史。Yasushi, el músico.

石井君の人生は短く中断されてしまったけれども、その実、このようにちゃんと、やりたいこと、やるべきことをやったフルな、満杯の人生だったことが僕らにはわかる。丸くて豊満な、全的な人生だった。

石井君! 石井! 康史!

いくら呼んでももう答えない。石井君が記憶していたことは失われてしまった。もっともっと石井君と話をして、もっともっと聞いておけばよかった。これはすべての友人が今、思っていることだ。ごめん、もっと会いたかった。

でもかわりに、これからは僕らが話す。僕はこれから、石井君のことを話し続けようと思う。石井君のことを話している人がいる限り、石井君は僕らの間で生きているのだから。僕らが話していれば、記憶の中の石井君が、あの独特な偽悪的なユーモアをもって、僕らの中で話をはじめるから。

石井君! 石井! 康史!

Adiós, y hasta siempre.

ありがとう。